戳脚は多種多様の腿法(蹴り技)の集大成ともいうべき流派である。清代の動光年間(1830年代)といわれるが、元末明初期(14世紀中ごろ)に書かれた 「水滸伝の武松や花和尚魯知深のエピソードのなかに、戳脚に継承されている技が出てくるので、遅くとも14世紀には戳脚の原型が存在していたことが知れる。 戳脚を体系だてたのは、清朝に抵抗して武装蜂起した天理教農民軍の指導者、馮克善(河南省出身)。政府に捕縛されたが脱獄して少林寺の行脚僧に変装し、 仲間とともに河北省の饒陽県、深県、蠣県などに身をひそめて武術を伝えた。馮克善は、趙老セン(火+山)と名を変えて(様々な仮名あり)、王家に翻子拳を伝え、段家に戳脚を伝えたが、王家と段家は研究交流をして戳脚翻子拳を成立させた。 東北の沈陽の徐兆熊は、段家を訪れて戳脚と翻子拳を学び、戳脚は東北沈陽で広くおこなわれるようになった。馬家通備門に伝わる戳脚は段家⇒東北系の流れを汲んでいる。腿法の変化技は全てで81種類。 足を手のように自在に用いるため、戳脚では「跋跟」という頂、坡、決、点、撩、椿、圏の基本腿法と、それを発展させた明腿、暗腿、秘腿、蔵腿を学ぶ。
<戳脚伝承>
第一代:趙老セン(火+山)
第二代:段老緒
第三代:徐兆熊
第四代:赤β鳴九、程東閣、胡奉三、馬鳳図
第五代:馬賢達
第六代:小林正典
戳脚の主な套路
・武[走+尚]子
・文[走+尚]子
他に蹴子跋跟鴛鴦腿という套路がある。
換腿ドウ[足+朶]子
身体を緩めきって、大開大合の身法を用いて急カーブを描いた変則的な蹴りを繰り出す。
頂場
身体を緩めきって、大開大合の身法を用いて下から鋭い低い蹴りを繰り出す。