短兵は2人で向かい合って打ち合ったりして攻防を行いながら中国伝統の刀法、剣法、斧、鞭等といった短い武器の実戦技法や招法を活かしながら行う競技である。
したがって通備門では劈掛刀、通備大剣、苗刀、鞭杆等といった技法が有効に活用されているのだ。
短兵は2人で向かい合って打ち合ったりして攻防を行いながら中国伝統の刀法、剣法、斧、鞭等といった短い武器の実戦技法や招法を活かしながら行う競技である。
したがって通備門では劈掛刀、通備大剣、苗刀、鞭杆等といった技法が有効に活用されているのだ。
一般的な柳葉刀とは違い、作物の「苗」の形に似ているので俗名苗刀とも呼ばれ、また倭刀(わとう、倭=日本の刀)と呼ばれることもあるが、通備門では正式名称を「双手刀法」という。
倭寇が明の軍隊を苦しめた要因を、多くの者が切れ味の鋭い日本刀の性能に求めたが、一部の具眼者は、遣い手の身軽さ、素早さ、体捌き、当時の優れた日本の刀法にあることを見抜いていた。
倭寇の撃退に成功した明の将軍・戚継光は、対倭寇戦で得た陰流剣術の目録を研究し『辛酉刀法』を著した。また、戚継光は、倭刀や鳥銃(火縄銃)を装備した兵を含む部隊(戚継光の考案した部隊編成の特徴は、同一の装備の兵ごとに部隊を分けるのではなく、多様な装備を持つ兵を一定の比率で混在させたものであるため)をどのように運用するかを研究し、北方民族の侵入を撃退することに成功したのだ。
双手刀法(苗刀)は、1621年に程宗猷が『単刀法選』を著したことに始まる。程宗猷は、日本の刀術を学んだという劉雲峰なる人物に学んだという。次いで、1644年に呉殳が『単刀図説』を著した。現在まで伝わる苗刀の技法は、この二書の内容がもとになっている。苗刀は劈掛拳に併伝されていることが多いと聞くが、旧中国では多くの門派の中の間で練習されていた。
馬賢達老師からの話によると、今の通備門に伝わる双手刀法(苗刀)は、劈掛拳の黄林彪と翻子門の程東閣から伝わってきたとのこと。従って馬賢達老師が伝える短兵は双手刀法(苗刀)の技法が取り入れられているのは言うまでもない。
双手(両手)で扱うので、日本刀の影響を受けてもいるが、日本刀法そのものではない。日本と交戦の時に、馬英図が率いた苗刀を以て「大刀隊」が組まれ日本軍に大打撃を加えたのである。
当会の実技の指導は、一方的に型をなぞるようなことはせず、練習生のみなさんが各自目標を目指しながら練習に取り組んでもらいますので、研究しながら質疑応答できる環境にもしていきたいと思います。武術の練習は自分の嗜好に合ったものでなくてはいけませんし、あなたが明日から自分で練習がやれるノウハウを知りたいのは当然です。
● 練習生のみなさんの声
「馬賢達老師はご高名な方なので、以前からどんな武術なのか興味あってはじめてみました」
「以前から武術をやっていたのですが、どのように練習したら実用に繋げれるのか打開策がなく試行錯誤していたので、入会していい勉強になっています」
「このような学習体系が整っているものが本でも探せるかどうか本屋に行って改めて調べてみたのですが、本当にないことに驚きました」
「二十〜三十代はフルコンタクト空手や中国拳法の道場に出入りして徒労を重ねた挙句、不惑を過ぎてようやく、この道場に辿りつきました。 ふつうの道場なら入室弟子(内弟子)にしか教えないような内容を、この道場では平気で初心者に公開している。。。そういう印象を持ちました。そういうオープンな気風が、日本支部にも受け継がれているんだなぁ〜と、甚く感激しております。十年前、否、せめて五年前にこの道場の存在を知っていたら、私の人生は今とは全然違ったものになり得ただろうに、と思うと、悔しくてたまりません」
・・・ 等多くの声が寄せられています。
中国の名門武術と言われていますが、練習の仕方を得れば、「あ−そうだったのかぁ、こんなことだったのかぁ」と新たな発見ができるわけです。なぜこんな事ができるかといえば、私たちは長年中国の最高峰の武術家に師事してきた経験とノウハウがあるからです。
私たちも最初は今の貴方と同じようにまったくのゼロの状態でした。試行錯誤を重ねて今日まできました。そのノウハウを不透明なく明確に指導しています。