馬賢達老師は1932年の生まれであり、祖籍は「武術の郷」と呼ばれている河北省滄州地区孟村。父親の馬鳳図は民国時代に滄州県長をつとめ、名医としても社会に功績の大きい人であったが、武術に関しても劈掛拳、八極拳、翻子拳などの達人として有名である。
馬賢達老師は現在中国の武術家の中で最も有名な人であり、幼少の頃より父親の馬鳳図の元で武術を修行し、劈掛拳、八極拳、翻子拳、戳脚などの拳法や長短の兵器にも精通されている。
1952年、天津で開催された全国規模の散打大会(フルコンタクトで打ち合う試合)で弱冠19歳の大学生の身で参加し、並み居る名人、達人をことごとくKOし優勝を果たされた。この時の試合情況があまりにも激烈かつ過酷なものであり、多くの負傷者が出たため、以後この種の形式の実戦に近い試合は中止された。さらに1953年には全国短兵格闘試合でも優勝し不敗の記録を樹立され全国に勇名を馳せた。